2020年07月14日

河口と海岸をめぐって〜3

17. 生物の種をゲノム解析して分ける方法が主流となった。「味気ない」と嘆いた研究者の言葉を聞いたことがある。地形の変化も、カメラを据えコマ送りすれば済むことだが「楽しむ」こととではない。「羽の折れたハクチョウ」の存在は、「楽しむ」者にとっては貴重な存在である。今年は4羽が生き残っている。
17羽の折れたハクチョウ

18. ハマニンニクとオニハマダイコン(1年草)が定着し始めた。この当時、外来種オニハナダイコンはあまり知られていなかった。種皮が硬く水に浮き、海流に乗ってアメリカ大陸からやってきたのではないかと考えられている。さらに、海岸のコンクリートの劣化でカルシウムが融出し、オニハマダイコンの生育を加速していることもわかってきた。終末処理場の拡張建設も終わりに近づいた。
18オニハマダイコン

19. 砂州河口から海に向かって右側(方位;西)に伸びている。夏季の季節風は南東より。波も南東から押し寄せる。砂浜に打ち上げられた海水は吸収され、含まれていた砂が堆積していく。冬季は北西の風に変わる。砂州は振り子のように年単位に変化すると説明されている。
19砂州は振り子のように年単位に変化

20. 西に流れ出る淡水。海水に比較し軽い。表面に広がり重い砂泥は沈んでいく。このようにして河口近辺は次第に浅くなっていくが、川から同心円状に浅くなるのではなく、沿岸流にも影響されているようだ。
20砂州の成長

21. 流れ着いた森からの“贈り物”を動物たちが知っていて、濁流が流れた次の日にやってくる。エゾシカとキタキツネの足跡である。
21エゾシカとキタキツネの足跡

22. 2006年から4年経った汽水域の様子。「鋼矢板」が見えなくなっている。河口近辺は堆積が進み砂州が拡大している。
22砂州が拡大

23. 2011年3月11日、今まで体験しなかった周期の長い地震である。「でかい」。職員がTVをつけた。やがて津波警報から大津波警報へと変わった。直ちに自宅に電話し避難準備に入るよう妻に指示し、急いで帰宅し、避難所に向かった。3.11の衝撃から1か月近くが過ぎ、河口を観察した。砂州は掃除されたようにきれいになっていた。
23 3.11の1か月近くが過ぎた、河口

24. 翌日スケッチした。砂州は季節風によって振り子時計のように変化すると言われるが、これ以降、砂州の伸長は東向きになった。津波が海底を削ったのだろうか。
24砂州の伸長は東向き

25. 「汽水域」の様子である。3月中旬は、北海道はまだフキノトウが顔を出す頃だ。下旬にも雪が降る。場所によってフクジュソウが開花する。
「横引きゲート」横の「三角点」は海抜3.2mである。津波の高さは2m余(新聞発表 潮位観測器は漁港にない)。
25汽水域

26. 津波の引く様子を見てはいない。3カ月たった砂州の様子である。緑に覆われた場所にはハマニンニクが繁茂していて、その根が砂を掴み自然堤防の役割を担っていたことが分かる。1〜2mの崖を「浜崖」と呼ぶようだ。
26浜崖

27. 汽水域も次第に縮小し「鋼矢板」が見えなくなっている。この汽水域に入り込む魚をねらってアオサギ、チュウサギ、カワセミもやってきた。
27魚をねらって

(つづく)

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2020年06月26日

河口と海岸をめぐって〜2

10. 河川整備事業によって、河川の直線化、コンクリート堰堤化が進んだ。これに伴って、海岸のコンクリート防波堤建設も進み(国土交通省関連)、100年後の日本列島はコンクリートで囲まれるとささやかれた。今から14年前の河口である。
10長流川河口汽水域

この写真は「汽水域」。「鋼矢板」(垂直に鉄板を打ち込み土砂の流出を止める)によって砂州の原型ができつつある。汽水域にはヨシが繁茂し、砂州上は外来種・オニハマダイコン(1年草)で賑わっていた。

11. この砂州の成長の様子を記録した最初のスケッチメモ図である。図中の点線は歩いた跡。長流川の流れは西に向いていた。歩測で50mとした。縮尺を図中に入れ始めたのは2015年である。
11長流川河口汽水域 砂州の成長

12. 図中、歩いて行った砂州の先端から、北海道電力伊達火力発電所をとらえました。感動である。
12長流川河口汽水域 砂州の先端

13. 終末処理場の拡張工事が行われた。写真左にみえる水路は、終末処理された排水路である。いつも、渡り鳥がこの排水路にやってきて水草を食べている。フトイも繁茂したことがある。
13終末処理場

14. 2007年8月28日8:30頃(日食があった)にも観察している。その1年後に合わせ2008年9月の観察スケッチである。既成の地図を“現在”を表わしてはいない。「防波堤の直線」「テトラポッド(突堤)が海に突き出た向きと個数」で図を描き始めた。潮位時刻とcmは室蘭の数値。
14長流川河口 砂州の変遷

15. 終末処理場側から見た干潮時の河口の姿である。2019年にスマホによる経緯度を用いた作図を試みた。伊達漁港の広場を使い直角三角形の3点を定め、その間を移動しGPSを読み取った。これを3回行い3点の平均値を出し、経緯度グラフに書き込む手法である。3点の数値が定まらずGPSによる作図は困難だと判断した。
15長流川河口 干潮時の河口の姿

16. 河口は自宅から自転車で20分にある。快晴、満月の撮影に挑んだ。PCによって画像を明るくすると、東の空に星が現れた。
16長流川河口 満月の夜

(つづく)

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2020年06月17日

河口と海岸をめぐって〜1

1. パンデミック下、「昭和新山の生き物」シリーズは一時中断することに致しました。

その昭和新山の横を流れる「長流川(オサル川)」を6km下ると河口に出る。その河口と海岸をめぐるシリーズをお送りいたします。
1北海道伊達市長流川 海岸

全長が1000kmの大河の水は、3分の1しか海に到達しないとの報告がある。長流川は全長50km、途中に水力発電用、農業用、工場用取水口があり、また、北湯沢温泉、蟠渓・弁景温泉、壮瞥温泉、洞爺湖水の排出路もあって、純粋に50キロ先の水が海に到達するのがどれほどか、測るのは難しいかもしれない。

2. 2004年、伊達市内の有志7人が集まり、「森と水と人ネットワーク」が結成された(2011年に法人化)。目標『持続可能な地域社会の創造』を掲げた。私もその一人。まず、市内の実情を知るために河口を訪れた。

そこで目にしたのが海に伸びる砂州である。わずかな幅の先端に、恐る恐る近づいた。
2長流川 海に伸びる砂州

3. 煙突は伊達火力発電所(煙突高さ200m 70万kw)。勇払原野に厚真火力発電所(苫東工業地帯用)が出来るまでは道内最大級の発電所。今は、冬の電力供給の役割を担っている。北海道ブラックアウトが起きた時、急きょ運転を始めた。白い建物群は終末処理場。水洗化事業で建てられた。
3伊達火力発電所

4. 河口直前に生えるヨシである。「オサル」はアイヌ語で、ヲサルベツorヲサラベツ(川尻に沢や湿地がある)、オサルヘツorオシャルヘツ(葦のある川)、オ・サル・ウン・ペッ(川尻に・葦・ある)など諸説ある。
4長流川河口の葦

5. 護岸にもヨシが生えている。イギリスの女性探検家イザベラ・バード(47歳)は、1878年(明治11年)の初夏〜晩夏にかけ、北海道太平洋側平取〜函館を旅している。モンベツで有珠火山の噴煙を眺め、この長流川を馬で渡っている。その日は、ウスコタン(現伊達市有珠町)で泊まったが、その夕暮れを『私が日本で見た中で最も美しい絵のような景色であった。有珠湾は、美と平和の夢の国である。』と絶賛していた。
5イザベラ・バードが渡った長流川

6. 河口から1kmに、有珠山噴火避難用の橋・新長流川橋が架けられた(2005年3月全長約200m)。国道37号の渋滞緩和の迂回道路としてもその役割を果たしている。
6有珠山噴火避難用の橋

7. 新長流川橋から、干潮時に河口方面を眺めたもの。火力発電所に重油を送るパイプを通す青い橋がある。室蘭の製油所から20km以上のパイプラインである。

上流で大雨が降っても(30時間148mm、1時間で80mmを記録)、河口近くが広いために氾濫することはなかった。
7干潮時に河口方面

8. しかし、最近は中流域で氾濫するようになった。そんな時、河口にはおびただしい巨大な流木が打ち上げられる。不思議なことに、カラスやカモメ、時には、キタキツネ、エゾシカも集まるのだ。やがてこれらの“ゴミ”は、砂の中に埋もれていくのである。
8氾濫の砂浜

9. 市内有志による「森と水と人ネットワーク」が呼びかけた「観察会」である。『長流川公園化構想』を展望していた。
9長流川公園化構想

(つづく)

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2020年05月27日

昭和新山の生き物5

23.
110年を過ぎた明治新山(通称四十三山よそみやま100年前は標高296m)のトレッキングコースである。潜在ドームの収縮で40mも低くなり、今は海抜252m、湖畔からの標高差は約170mである。日陰で生きるシダ植物、オオウバユリが見える。45個の火口が開いたが、トレッキングコースはその縁を通る。イタヤカエデ、エゾヤマザクラ、カツラ、シラカバ、ドロノキ、ハリギリ、ミズナラなどが覆っている。
23明治新山トレッキングコース

24.
60年が過ぎた頃の昭和新山である。正面に噴気する蒸気が見える。「南西」斜面、ワカサリゾート鰍フロープウエイがある側で、幹の太さは随分細い。
24昭和新山

25.
入口ゲートから100mあたりの道沿いのハリギリである。トゲがあるがトゲではなく「芽鱗」(がりん)という。背が低かったころの枝がトゲのようになったという。
25昭和新山ハリギリ

26.
オニグルミにも芽鱗がある。冬を越す芽を守る外套である(茶色の部分が1年間22cm伸びた枝)。芽鱗はそれなりの役割を持っているが、ハリギリの「芽鱗」はどんな理由で名付けたのか知りたいものである。
26オニグルミ芽鱗

27.
ゲートから進むと、約150mで標高240m通称「珊瑚岩下展望台」に出る。トゲのあるニセアカシアやノイバラが多い。トゲは、草食動物に食べられないようにするための防御の組織だ。乾燥していく環境の変化に生き残りをかけたのだろう。
27昭和新山ニセアカシア・ノイバラ

28.
最近、地球温暖化が進む中で、爆弾低気圧が通過するようになった。ミズナラの幹をへし折った。周辺で最大のミズナラは胸高直径46cmだが、これは強風を耐え抜いた。
28昭和新山ミズナラ

29.
1964年(昭和39年)、伊達高科学部が昭和新山の植物調査を行ったそのレポートの断面図である。植物調査の記録は、貴重な財産として残り称賛されている。

東西断面図をみると、Aドームは西寄りに現れている。
29昭和新山断面図

30.
昭和新山「北東斜面」である。しかも標高差は約200m。隆起によって縦に出来た無数の亀裂があり、急斜面、ノコギリ歯の上を登るようで危険である。落石もある。エゾシカの「けもの道」が安全である。※入山には許可が必要です。
30昭和新山 北東斜面

31.
「北東斜面」の樹は幹が太い。屋根棚に降った雨や霧は吸収され、「北東斜面」の裾野に湧き出る。小川が流れトクサの群落があるのも「北東斜面」である。
31北東斜面

※パンデミック下、一旦、お休みし、次回は『河口と海岸をめぐって』をお送りいたします。

posted by 忍ちゃん at 14:48| Comment(0) | 昭和新山の生き物

2020年04月25日

昭和新山の生き物4 昭和新山の植生研究

18.
2019年11月、昭和新山植生の研究者・春木雅寛氏(北大総合博物館 研究員)を招き、一年を振り返る検討会を行った。春木氏は「新しい土壌観」を提唱していて、火山マイスター「植物調査」グループは、調査前にこの内容を学び、「植種の確認と、火山と植生の関係」を視野に予備的な調査として進めたのである。
18昭和新山植生の研究者・春木雅寛氏

19.
昭和新山駐車場の管理人さんの間で、標高370m前後の壁に立つ2本の樹が話題となっていた。「土産店に入る綿のようなものはドロノキのもので、それが風に乗って飛んでいき、あそこで発芽したんです」と問われて応えると、「最近、急に緑が多くなってきた」と乗ってくる。「火山灰には窒素、リン、カリが豊富にある、がっちり根を下ろしてデカくなった、森の始まりが始まったんです。あれは開拓者、パイオニアですよ」と言うと、「すごいですね〜」と、その凄さを喜んでいた。
19昭和新山ドロノキ

20.
高校教科書には「岩石(母岩)が物理化学的に風化して生じた砂や粘土に、生物由来の有機物(腐食)が混じり、土ができ、森林植物が出来る」と記述されている。昭和新山は、砂や粘土ができる前に根を下ろし、火山灰に含まれる無機態窒素(アンモニウムイオン、硝酸イオンなど)や、可給態リン酸(リン酸イオン カルシウムイオン、鉄イオンと結合し植物が吸収する)を吸収し成長するのである。日本は火山の島、森林への遷移を画一化すべきではないと思う。
20昭和新山のみどり

21.
2000年噴火から20年経った西山火口を「新しい土壌観」で見ると次のようなことが言えるのではないか。
『物理化学的に風化して生じた砂や粘土』ができたのではない。すぐそばの火口から噴出した火山灰が積もり、風で運ばれる植物の種子が、その火口縁で発芽したということである。』
カラマツ、シラカバ、ススキが観察できるからである。
21火山灰

22.
その火口縁にハリギリもある。ハリギリのタネは実の中にあるので風散布種ではなく動物散布種に区別されている。ここから南西約200mには噴気孔もある(2019年5月 98℃)。真冬であっても雪は解けている。エゾシカやキタキツネの足跡が雪の上に多数目撃できる。活発に動いている証しだ。また、渡り鳥も通過する。裸地からの遷移は、単純な道筋ではなさそうだ。
22火口縁のハリギリ

posted by 忍ちゃん at 17:26| Comment(0) | 昭和新山の生き物