2015年12月21日

洞爺湖有珠山ジオパーク冬C

スノーシューによる有珠山外輪山からの降下の跡である。厚く降り積もった雪の下には岩と樹木が潜んでいる。当時、平均年齢65歳。帰路が大変だ。

01冬の有珠山

無人と思われた雪原の向こうにキタキツネの足跡があった。息を潜める火口原も、動物たちの密かな生きづかいがあった。

02冬の有珠山 キタキツネの足跡

火山マイスターの精鋭が有珠新山急斜面に挑む。「まるでアルプスだ」とその興奮を語った。


03冬の有珠山 まるでアルプス.jpg

posted by 忍ちゃん at 16:59| Comment(0) | 洞爺湖有珠山ジオパーク

2015年11月22日

洞爺湖有珠山ジオパークの冬B


智恵子が死んだ後、高村幸太郎にも太平洋戦争の戦意高揚の網が仕掛けられた。抵抗することもなく戦争賛美の詩を作り続けた。終戦後、花巻郊外の山間に身を引き懺悔の生活に入る。今、戦争をする国づくりを叫ぶ作家がいる。本当の勇ましさとは、弱肉強食のDNAを持った動物から人間らしいDNAを持つ動物への進化である。


01.JPG

キタキツネの追跡をかわそうとするエゾシロウサギ。雪穴が発見できないように火口原のあちこちに足跡をつける。夜には雪が降りシロウサギの存在を消してくれる。自然の法則だ。


02.JPG



昨夜だろうか、雪が降り積もりシロウサギが背伸びして食っていく。そして糞を落した。これも自然の法則だ。温暖化はシロウサギの食い物を減少させていくのである。日本は温暖化の加害者になってはいけない。聞くところによれば132の事業所が日本の二酸化炭素排出量の半分を占めているというじゃないか。次の年、再び、ジオパークの冬にチャレンジした。


03.JPG






posted by 忍ちゃん at 14:51| Comment(0) | 洞爺湖有珠山ジオパーク

洞爺湖有珠山ジオパークの冬A


洞爺湖有珠火山マイスターネットワークの冬の研修会が有珠山で行われた。標高550mの『火口原展望台』から斜度40度をスノーシューで降りる。眼下の火口原まで高度差約150m。真冬の厳しさをものともしない北国人だからできる冒険である。


01.JPG


25分かけて斜面を下り、火口原を横切り、銀沼火口の淵・オガリ山の頂に着いた(標高440m)。

爆弾低気圧が1127日にこの北海道を襲った。南寄りの強風が有珠山を吹きぬいたが、火口原にはその影響は全く見られない。有珠山火口原は下界とは異なった聖域だということがわかった。


070.JPG





posted by 忍ちゃん at 14:45| Comment(0) | 洞爺湖有珠山ジオパーク

洞爺湖有珠山ジオパークの冬@


世界ジオパークの一つ「洞爺湖有珠山ジオパーク」がユネスコの事業として認定された。嬉しいことである。その洞爺湖と有珠山の冬である。北海道で冬凍結しない湖二つの一つ洞爺湖である(もう一つは支笏湖)。水深180mの深さ(支笏湖はその2倍)が凍結しない理由である。

01.JPG


僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ああ、自然よ

父よ

僕を一人立ちにさせた広大な父よ

僕から目を離さないで守る事をせよ

常に父の気魄を僕に充たせよ

この遠い道程のため

この遠い道程のため

智恵子との出会いで目覚めた高村光太郎「道程」である。啓蟄が過ぎた標高500mの有珠山外輪山の「道程」と重ねてみた。『僕の前に道はなく』、エゾユキウサギの足跡を横切り『僕の後ろに道ができた』。純白の世界にも命の輝きがある。


02.JPG


1666年、仏師円空がここに来た。その3年前の1663年、6千年の眠りから覚めた有珠山が大噴火を起こした。火山灰は遥か日高の地にも降り注ぎアイヌの人々を苦しめた。それを知った円空は有珠山の怒りを鎮めるためこの山に登ったのである。以後8回の噴火を繰り返し、9回目の噴火2000年から15年が過ぎた。


03.JPG




posted by 忍ちゃん at 14:37| Comment(0) | 洞爺湖有珠山ジオパーク